バンドWANIMAの笑顔の理由!家庭環境が良くなかった!?高校時代のエピソードと恩人

2019-11-30

熊本出身のスリーピースバンドWANIMA!

ストレートな楽曲と突き抜けるソウルフルな歌声で今大人気ですよね^^

そんな彼らがA-Studioに出演されていたのでエピソードなどをまとめてみました。

プロフィール

上KENTA 、左KO-SHIN、右FUJI

ボーカル&ベース ワンチャン担当

名前 KENTA
本名 松本 健太(まつもと けんた)

生年月日 1988年4月13日

出身 熊本県天草市

身長 170cm

体重 ?kg

血液型 O型

ドラム&コーラス 大食い担当

名前 FUJI
本名 藤原 弘樹(ふじわら ひろき)

生年月日 1986年8月8日

出身 熊本県熊本市

身長 178cm

体重 ?kg

血液型 O型

ギター&コーラス 無口担当

名前 KO-SHIN
本名 西田 光真(にしだ こうしん)

生年月日 1989年3月30日

出身 熊本県天草市

身長 175cm

体重 ?kg

血液型 A型

事務所 PIZZA OF DEATH MANAGEMENT

KENTAさんのワンチャン担当とは、ライブにていつもKENTAさんが「ワンチャン狙いに来ました!WANIMAです!男女が夜にスパーリングすることをワンチャンって言います!」と挨拶していたので、そういうことだそうです笑

またワンチャンには「迷いなら捨てて、後腐れ無しで1回のチャンスをちゃんとモノにしていこう」という意味も含まれているらしいので、上のワンチャンは(9割くらいは)冗談ですね笑

KENTAさんは真面目な人なのです!

由来

WANIMAの由来は、WA(藤原のWA)、NI(西田のNI)、MA(松本のMA)。

フニマだとちょっとカッコ悪いからワニマで良かった笑

倒れる

埼玉メットライフドームのライブにて、1日目でFUJIが脱水症状で倒れてしまった。

演奏中にFUJIのドラムがだんだんスローになって様子が変になっていき、FUJIがメンバーにしか聞こえないマイクで「厳しいです。」と伝えてきたという。

WANIMAのライブめちゃくちゃ激しそうですからね~^^;

特にドラムは運動量も激しいですし。

FUJIさん水分補給忘れてたのかな涙

ダイエット

関ジャニ安田の家にKENTAとKO-SHINが2人で行き、もつ鍋会をした。

FUJIはその時ダイエット中で、つまみ食いなどをしてしまっていたので呼ばれなかった。

WANIMAの3人でコンビニに行った時など、FUJIは一番最後に会計をして隠れてお菓子を買っていたという。

かわいいなFUJIさんw

食欲に負けちゃう人なんだろうな笑

ほどほどにダイエットしてリバウンドに気をつけて(T‐T)笑

くまモン

高校時代、FUJIは地元熊本にある肥後のたこ坊というお店でバイトをしていて、そこの店長が言うにはFUJIはバイトに来る度に太っていき、くまモンみたいになっていたらしい。

まかないとかを食べすぎて太ってしまったんでしょうか汗

大食いの人は飲食店で働くべきではないですね笑

今もWANIMAのマスコット的存在w

結成

KENTAが最初18歳で上京してきて、その時KO-SHINは自衛隊に入っていた。(KENTAとKO-SHINは4歳からの幼なじみ)

FUJIも東京にいたのだが、他のバンドで活動していた。

その後、KENTAとKO-SHINのコンビにFUJIがドラムとして加入してきて現在のWANIMAになった

KO-SHINさん見た目軍人みたいだなと思ったらやっぱりそうだったんだw

ブレイクするまで約10年、長かっただろうなあ…。

自衛隊

KO-SHINは家庭の事情から弟が高校を卒業するまで自衛隊に入っていて、2年後弟が高校を卒業した時に上京し、KENTAと再びバンドを組んだ。

学費を稼がなくてはいけなかったのか…。

KO-SHINさんがもっと早くKENTAさんと合流してたらブレイクも早かったかも(T‐T)

クラッシャー

FUJIが入るバンドはほとんどが解散したり活動休止したりするので、FUJIは「クラッシャー藤原」と呼ばれていた。

FUJIが入る時KENTAは周りのバンドから気を付けた方がいいよと言われていたが、実家がお金持ちという所をKO-SHINが気に入り(?)加入が決定した。

WANIMAはクラッシャーされなくてよかった涙

FUJIさんの負のオーラよりKENTAさんとKO-SHINさんのオーラの方が強かったんだw

2012~

2012年から地道に活動を始めたWANIMA。

FUJIが何組もバンドを渡り歩いていて色んな場所のライブハウスを知っていたり、連絡してくれたりしたので、その面だけはFUJIはかなり役に立ったという。

やっぱコネは大事(確信)

色々なバンドをクラッシャーしてきたからこそのコネ(実力)。

努力

WANIMAはオールナイトニッポンに出演していて、そこの放送作家宇野コーヘーによると、WANIMAは初め誰も信じないみたいな感じで距離があったが、打ち解けていくうちに彼らが毎日毎日バンドの練習をする努力家だということがわかったという。

現在もWANIMAはライブ後に練習に行っているが、練習をしていないと物凄く不安になってくるのでしてしまうらしい。

ちょっとチャラい感じでも毎日の地道な努力は欠かさない。

第一線を走り続けるにはこういう努力が不可欠。

冥利

小さい子がWANIMAの歌を歌ってくれている姿を見ると、(曲を)作って良かったなと感じる。

WANIMAは老若男女誰もが楽しめる歌を作ってくれます^^

自分もたまに口ずさんじゃうな笑

曲作り

KENTAとKO-SHINは高1から本気でバンドをやり始めたが、KO-SHINが曲を作れなかったので、KENTAが「俺が作るしかない!」と思い曲を作り始めた。

KO-SHINが一番初めに作った曲はケンカをしても泣かないんだ~♪という歌詞の曲で、「KO-SHINにはちょっとハードルが高いかな?」「僕が面倒見るしかない!」とKENTAに感じさせた。

童謡とかでありそうな歌詞?^^;

曲作りはほとんど才能の世界なのでしょうがないです(T‐T)

KENTAさんに父性愛が目覚めた瞬間。

しがみつく

KO-SHINは家族から「KO-SHINは何も持ってないから、KENTAにしがみついていけ!」と言われている。

ひどい言われよう汗

でもKENTAさん引っ張って行ってくれるし、誰でもそう言うか^^;

優勝

高校の時、KENTAとKO-SHINは同級生の蓮田(ドラム)とHANIMAというバンドを組んでいて、九州地区の高校生バンド大会で優勝したことがある。

その頃からもう才能があったんだ。

埴輪的なバンド名でこちらもいい感じの名前だ笑

魚釣り

KENTAとKO-SHINは高校時代色んなバイトをしたが、基本的にお金が無かったので、魚釣りをしてその魚を魚屋に売って生活費の足しにしていた。

※KO-SHINの家は貧しく、KENTAの家は少し裕福だった。

バイトは漁!?

漁師には歌がうまい人が多いというけどそういうこと!?(多分違う)

パチンコ屋

KENTAの家はパチンコ屋の土地を持っていて、高校時代はKENTA、KO-SHIN、蓮田の3人で毎日バンド練習に明け暮れていた。

高校の軽音部とかではなかったんですね。

KENTAさんやはり結構いいところの人だ笑

防音

そのパチンコ屋には防音のために、1個3円くらいの卵パックを壁一面に何千枚と貼り付けていたが効果はなく、ドラムの音は遠くの方までめちゃくちゃ響いていた。

しかし、音はうるさかったものの地元の人達は誰も何も言わず協力してくれていた。

KENTAはそういう人達のおかげで今も活動をやれているんだなと感じている。

隣の家のおばちゃんは昼間イヤホンをしながらテレビを見ていた位だったけど、文句は言ってこなかったとか。

卵パック何千枚と貼り付けるのめっちゃしんどそうだし、効果ないっていうのも悲しい(T‐T)

都会だったら多分無理だけど、地元の人達が大らかな人たちで支えてくれてよかった涙

制限

KO-SHINは特に家庭環境が良くなく、音楽などにチャレンジすることにも制限を課せられていた。

しかし、同級生や周りの人達が毎日KO-SHINや西田家をも支えてくれたので頑張れたという。

特にKENTAは先頭をきって支えていて、KO-SHINの弁当を毎日メンバーで用意していたほど。

また、KO-SHINの家の焼肉には牛や豚ではなく、おじいさんが山で獲ってきた毛の生えたイノシシの肉が出てきていた。

そんなに貧乏だったのか…。

毎日弁当がないって相当ですよ。

KO-SHINさんと西田家を支えてくれた熊本の人は温かい…涙

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イタズラ

KENTAはイタズラ好きで、今も昔の同級生が寝ている間にマジックで顔に落書きをしたり、ライブで着た汗だくの服をそのまま彼らの家に送ったりする。

その服は同級生の奥様が洗濯されているそうです笑

まあそのくらいのイタズラなら大丈夫?笑

服も高い服だろうし良い笑

衣装

WANIMAは衣装にもこだわりがあり、デビューする前からずっとLEFLAHの衣装を着ていてサポートしてもらっている。

LEFLAHのデザイナー池端(パーシー)とブランドマネージャー小嵜(こざき)はWANIMAをデビューする前から支えていて、彼らがいなければ熊本に帰っていたと言う程にWANIMAは恩を感じている。

デビュー前のWANIMAを雑誌に載せてくれたりしていたという。

WANIMAが売れて完全にウィンウィンの関係だ。

WANIMAの才能を昔から信じていたからこそ。

今LEFLAHの売り上げすごそう笑

そば

デビュー当時のWANIMAは本当にお金がなくて蕎麦ばかり食べていた。

小嵜がずっと奢ってくれていた。

蕎麦は安いし腹持ちもいいし笑

ただ自分は蕎麦アレルギーなのでやばいですが(T‐T)

諦めない

KENTA達が音楽を諦めようとした時、いつも小嵜が「究極のアンチは諦めないことだ。と言ってくれていたので、WANIMAは活動を続けることができた。

何事も継続と諦めない事が一番大事なことです。

そういう説得力のある言葉を教えてくれる人が近くにいるのは羨ましいな。

帰郷

KENTAが夢を諦めて熊本に帰ろうとしていた時、こっそり1人だけ池端(パーシー)に相談しに行ったことがあった。

飛行機代を握りしめてパーシーの元に行くと、パーシーが一旦この売ってるレザーを買ってから考えようと言ってきた。

KENTAはそのレザー(8万円)を買って飛行機代がなくなり、今に至る。

これまたウィンウィンな引き止め方だな笑

WANIMAが尊敬している人だからそういうゲスさはなく、ただ引き止めたかっただけでしょうね^^;

モンパチ

昔憧れのMONGOL800に会った時、KENTAは上手く喋ることができず、悔しくて帰りの車の中で泣いてしまったことがある。

その時に、(モンパチの)サッシさんとうまく話せなかった悔しさや売れなかった不遇の時のことを絶対に忘れるなよ!と小嵜から説教され、それ以来KENTA達はその言葉を胸に自分たちを走り続けさせている。

悔しさや後悔が人にとっての一番の原動力となります。

そう言った辛さを人一倍経験しているからWANIMAは走れるんだな。

誓い

「夢を諦めたりスカすのは無しにしよう」とWANIMAは誓っていて、辛い時も悲しい時もなるべく笑っている姿をお客さんに届けようと思っている。

一生懸命な頑張りや笑顔にやはり人は引き寄せられていっちゃいます。

WANIMAの明るさは光。

マック

2019年7月に地元の天草でライブをしたWANIMA。

そこには15000人ものお客さんが来て、それくらいの人が集まるのは天草に初めてマックができた時以来だという。

田舎あるあるw

WANIMAのスマイルも0円です^^

笑顔

WANIMAの写真が笑顔ばかりな理由は、すましててもスカしててもそんなにいいカッコができることもなく、より多くの人に音楽を聞いてもらうには笑顔の方が分かりやすいんだ!という想いから。

彼らいい笑顔ですよね~。

ちょうどWANIMAもイニシャルがwで笑顔だし、FUJIさんはマジで影の立役者かもしれない笑

まとめ

初めはただのチャラい兄さんたちだと思っていたのですが、全然そんなことはなく彼らも困難を乗り越えて努力してきた素晴らしい音楽グループでした(T‐T)

彼らの底抜けの明るさは、そういった苦労を乗り越えてきた強さゆえだったんですね涙

これからもWANIMAは日本中を歌で明るくさせていきます!